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「コップの中の嵐」の逆転現象

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2005-10-02 15:50
偶然2ちゃんねるの"お祭り"(1,000歩の示威行動)に遭遇して久々にドップリと漬かり込んで塩辛状態なのですが(⊂⌒~⊃。Д。)⊃)、なんと言えばいいのかな、仮にも「編集長」とかをやってたんだろうに、「パソコンに音響カプラーをつないだ奴がいる」という歴史的事実から、なんも学べなかった感度の鈍さを、またもや目の当たりにしちまって、かなりシンドかった。自分らの「編集室」というものの"狭さ"をもっと自覚してほしいと思う。
2005-10-02 15:53
見れば、おらとほぼ同じ世代で「こーいうの、この年代に多いんだわ」とか書かれてると、二十歳のころに既に「同世代を100%信じるほどバカじゃない」と宣言してたおらだったとしても、ちっとばかし悲しいね。なんでこうも"内なる権力"というものに対する自覚がないのかな。このあたりの反省や内省がない限り、「内面を発見した」ということにはならず、特定アジアっぽい「100年は古い」状況と一緒だな。自ら行使する"力"に誰もがおののきながら、なおかつ、その部分を乗り越えながら発信していく……という基本的心構えができていない。それでも、ちょっと間違えば、この"力"は簡単に増幅されてしまうわけなんだが……。誰もが抱える「内なる暴力」ってのは、人類が内面を発見してからこっち、いまだ解決されていない困ったちゃんなわけではあるが。
2005-10-02 15:59
一つのヒントとして、この電子ネットワークというものを、「内なる暴力」あるいは「しょーもない自己顕示欲求」さらには「類稀なるコミュニケーション能力」を、"薄める"ために考案されたものと考えてみること。思考が"客観的な活字"として即時フィードバックされるので、思考の相対化はしやすいはずだ。とりあえずこの三つ(もっとあると思うが)は、簡単にイコールで結ばれる。旧来のメディアが、なんらかのメッセージの増幅装置として考案され、一般に向けた強力なブロードキャスティング機能を"過渡的に"担ってきたからといって、新しいメディア空間も、古臭い過渡的な"常識"で動くと思ったら、大間違いだろうな。既に「コップの中の嵐」は逆転しつつある。「狭い編集室」と「狭いワンルームマンション」は、ほとんど同義になってしまっているんだよね。この辺に気づけてないもんだから、この元編集長だかなんだかのような勘違いがはびこるし、気づいていたとしても、ニューメディア(死語か?)に対する本能的恐れからか「ネガティブブロー」から始まり、そのキャンペーンがうまくいかないと見るや「旧来メディアがメイン、新しいメディアは副として共存していく」という共存路線を打ち出してきていたもんだった。いま現在は、どうなのか? 時代の渦の中に両者とも飲み込まれ、相対化しているってなあたりか。問題となるのはもはや発信内容の質であるってことになってるのかもしれないな。「他人へのサービス」「テーマへのサービス」「自分へのサービス」という三つのサービスに裏打ちされている発信であるか、あるいは、絶え間ざる内省に裏打ちされた前向きなほとばしりかどうかとかね。
2005-10-02 16:05
噺変えよう。ここでも何度となく「編集者」というコトバが出現する。三層構造の中における三位一体としての編集者とかね。でも、これは古い意味での「編集者」とは、かなり違っていて、そうだなー、「散在する情報をタペストリー的に編む人」とでも言っておこうか。「情報」というものは、どんな空間にでも転がっている。「転がっている」と言うと変だな、情報そのものは「動き」を伴っているのが大半だから、「どんな空間にでも入出力されている」とでも言ってみよう。そして、「編集者」ってのは、これらの情報群を編む人って言う意味で使っております。その情報群の中には、旧来のメディア内を流れていた情報も含まれるというだけの話。さらに言えば、この元編集長さん(的な方々)が言うところの「メディア」ってのは、とても狭い意味でのメディアでね、その中の「編集室」なんてのは、四畳半的な狭さであるのは間違いないので、誤解なきよう。つまりは、「メディア空間」というものは、人が一人でもいる限りあちこちに動的に存在しているって噺だよなぁ〜。例えば、現在、朝日新聞の情報捏造問題が槍玉に挙がっているけれども、「朝日新聞社」がブロードキャスティング的に発信しがたっている「情報」を編集するということ(A)と、同社の組織内部で飛び交っている情報をキッチリ編集していくということ(B)ととは、全然違った位相のものだよということですよ。本来は、AとBはイコールに近いか、あるいは、健全なBというものをインフラとした上で情報Aの発信じゃなくちゃいけないわけだけれども。別に新聞社に限らないけどね。平たく言えば、「すべての組織には編集者が必要」ということですわ。究極的に言えば、「人間に限らず生物というものは、環境という情報を絶えず吸収し編集・加工しながら時代に合わせて自分を変え、未来に生き延びていくシステム」という噺でもあるのでね。
2005-10-02 16:13
件の元編集長さんは、上記Aの段階で天下取ったつもりでいたみたいだけれども、すでにBの段階でリストラっぽく追い出されているわけで、その原因は知らないけれども(知りたくもないし大体想像がつくが)、その原因を解決しないままのいま現在であって、流行っている、カッコいい、先進気分だぽとばかりに、そのままBlogとか意味不明なものを使ってしまっている。Blogというものは本来internetには似合わないもので、クローズドな世界での「やー、お久しぶり!」のためのツールだと思ってる……とある組織が閉域内LANで"組織の細部に宿る神"をピックアップするためのツールだと思うんだけどもね。この方の場合は、おそらくは「仲間内の回覧版」的な発想でBlogこいてたと思うんだけどもさ、ソーシァルネットワークででもやってればよかったのになぁ。あるいは、公開空間(変な表現だな)とクローズド空間を使いわけるとかさ。このあたり1997年、日本でのホームページ黎明期の状況と似てて(子どもやペットの写真のオンパレード)、IT系の雑誌や入門本等が、無定見に「Blogで気軽に情報発信!」「HTML勉強しなくてもホームページがもてる!」的情報をバラ巻きすぎてるとも思えるんだけどね。こっちにも自覚を求めたいところ。
2005-10-02 16:19
いずれにしろ、「Blogってのは使い方を間違えると危険なもの」から次第に、「Blogは危険なツールで素人にはオススメできない」という不文律が確立されそうな状況だね。スキン弄くり倒す程度ではダメで、最低でも設定回りをバキバキに5秒ぐらいで変更できるスキルは必要だろうし、さらにはBlogのソースをハックするぐらいのスキルが必要とされるのかもしれない。でもなぁ、そういうスキルある人は、もうちっと情報が整理されたシステムを自分で構築してしまうんだろうな。だってBlogって「マウスだけの操作」では読みにくいんだもの(笑)。
2005-10-02 16:22
"お祭り"を見てて笑ったのが、「全国2ch殺し屋連合」ってのが自然発生的に組織されたってことかな。あれを組織化とは言わないか(笑)。一連の流れの中で「四面道のクレヨンPATを呼んだかい?」というノリで、全国津々浦々から殺し屋さんが名乗りをあげてきて、「津軽のハードゲイイタコ」とか「北千住のわがままFカップ」とか「千葉の核燃料中だし」とか「愛知のおっぱい魔人」などなど、大いに笑わせていただきました。同時進行していた別のお祭りの"ブクロキング"とリンクしてたんだろうけれども、その昔は、深夜放送のDJが読むハガキでこの手の名乗り合戦ってあったと思うが、いまはDJがいなくても(重要…試験に出るぞ?)、こういったお遊びを瞬間芸的にできるというわけですよ。こういう「共時的お遊び」を同時進行させることができているなら、大丈夫。このノリを失ってしまうと、ド貧血起こして、いまのサヨク陣営や特定アジアのように、面白くないものに墜ちてしまうわけなんだが。ちなみに、旧来のメディアで、この手の産直メディアと近いノリをもっていたのが、ラジオの深夜放送とマンガだね。
2005-10-02 17:26
卑近な時空に噺戻すと、自転車乗りにとっては公道上での車とのコミュニケーションってのは、結構楽しいもんです。まぁ、乱暴な運転しまくるドライバーや左車線沿いにしか転がせないペーパーちゃんは別としても、たいていの車は、「自転車と車が物理的にケンカしたら車が勝っちゃう」ってことを知ってるので、生暖かく自転車乗りの悪戦苦闘をかわしてくれる。そゆときは、「ありがとう」とあいさつしてあげなくちゃ。広い青梅街道でも、左側の車線はバスの通り道でもあり、鈍さでは自転車ノリと競合するわけで(笑)、よくクラクションは鳴らされた。平地を時速40キロ以上で漕げる自信があるならともかく、まぁ、たいていは路肩に寄って止まって、バスを追いやります。慣れてくると、走行中、後ろを振り返るのではなく、右肩に顎を押しつけるような感じで、頻繁に後ろを一瞥するようになるわけで、バスやデカい車がきたら要注意ってことでできる限り左に寄る。並列走行無理ぽだなと判断できたら、迷わず路肩に停止する。すると追い越し際に運ちゃんが、小さく屁のようなクラクション鳴らしてあいさつくれたりとかね。自転車は歩道も走らざるを得ないときもあるけれど、走っていいのは「自転車通行可」の標識がある歩道のみで、その場合でも車道側を走らなければならない。たいがいが車道側は違法駐輪でふさがってるので、建物側を走ることになるんだが、その場合歩行者がいたら「歩行者優先」。間違ってもベルなんか鳴らしちゃダメで、そんな状況の場合は自転車降りて押すのが普通。この元編集長の奥さんの場合は、この最低限の公のコミュニケーションができていないってことなんだろうな。狭い道だったら、止まってバスに追い越させないといけないんだよ。
2005-10-02 23:11
「自我"へ"の自由」から「自我"から"の自由」へ……他者に無限に開かれているからこその魂であり、コミュニケーションというのは、その最低限の入り口に過ぎない。匿名であろうが実名であろうが、目指すものが前者の自由でしかないならば、それは真性の皮かぶりごっこでしかない。トラウマを喰らう以前の自身に戻り、そこから何度でも再出発するしかなかろう。歪んでしまった自我の破片から本来の自己を拾い集めて再構築すること(リストラクチャリング)、そのプロセスで"思い出せた方法論"が、まっとうな「編集者」へと人を正しく向かわせるに違いない。